consept note

■ 2020.3/5 アーティストステートメント

この日、わたしはハイウェイで大きな虹をくぐり抜けていた。
たった今、虹の弓を引いて静かな白い光の矢が私の手中から放たれ空へ向かうところこの光の矢は空へ七色の虹をかけます。
rain-bow bow and arrows
虹の弓があるなら矢を作ろうと思いました。
虹は多様性への希望を意味します。
全ての人種や民族文化、国籍、宗教や思想、全ての違いを喜びあえる世界に向けて祈りを捧げています。
そして2018から制作したアニミズムの民族のためのアルター:祭壇を置きました。
森羅万象の自然の中に神がいると信じています。
今、必要な感性だと思いませんか?
途方もない宇宙のたったひとつの惑星にこんなにも77億の人類が色んな国のコミュニティのなかで生きてる。
謙虚さを忘れた地球人は色んな命の連鎖や多様性をこの星から奪って自分の首を絞めている。
この光の矢は人間に向けると槍にもなるし使い方を誤ると良くない武器にもなります。
どうして人間は不幸せな道具を作るのが好きなのな?
アートは私を自由にしてくれるのにね。
空を見上げれば、私達は単純に同じ虹をみて笑顔になれると言うのに、とにかく私達は複雑すぎている。
どうかたくさんの小さな光の矢を放ちあい世界にいつか大きな平和な虹がかかった時、皆んなで笑いあえれば最高だと思う。
いつかそんな日が来ますように!
皆さんお元気でいましょうね。
2020 10月27日
小野サボコ


■ 2020年3月 生野ルートダルジャン芸術祭 アーティストステートメント

昔、鉱物として地中に潜っていたアルミニウムの記憶から森羅万象の気配を呼びおこし、この町の銀の道に光を差し込みたい


■ 2019年12月 ひかりさすにわ アーティストステートメント

皆さま、年の瀬のお忙しいなか、ひかりさすにわへ
お足運びいただき心より感謝申し上げます。

アルミニウムという素材は私にとって光の源である。
光とは私たちに平等に降り注がれる命のようなものだ。
と私の名刺には記述してあります。

ひかりさすにわ
そのにわは命の源であるひかりを感じる秘密の祈りのにわであり
それは心の内奥に潜む私たちの無意識の姿かもしれません。

私はいま現代文明によって祈りの場を失ってしまったかの様に感じているのです。
この世界の陰と陽からなる生命そのものである森羅万象の神々と我々それぞれに違ったルーツを持つDNAの記憶には、
きっとアミニズム的な信仰が生活の場に存在しているに違いないと思っています。我々は祖先を辿れば、世界の何処かの民族であったのだと!
そして太古にまでさかのぼれば、宇宙の中の地球というエネルギーの一部だったに違いありません。

私は工業製品であるアルミニウム板を叩き、アルミシートに文様を刻み続けています。
この様に叩いたり引っ掻いたりする行為は、もしかしたら原始的な行為の反復でしかありません。
しかしこの様な無意味な行為の反復の中にこそ時空を超えた無の存在を感じ制作をしています。
何故ならば無機質な工業製品から有機的な自然物のエネルギーへと返還している様に感じているからなのです。

地表面に多く存在するボーキサイトはアルミニウムの岩石です。
地球の一部であったアルミニウムは私の身体のエネルギーを通して光の矢となりこの世界を映す鏡の様なひかりさすにわへ届いているのです。
その光は2020年の新たな時代のステージの幕開けへと繋がり、いつしか平和という意味が本当に私たち人類にわかる日が来ることを願うばかりです。

ひかりさすにわ

ひかりは宙から射しこんで
いのちもそこからやってくる
こころの音の向こうには
まるい小石の空模様
まるい月日の流れより
いまこそあのにわへ

小野サボコ


■ 2019 Prayer and Alter コンセプトノート

アルミニウムを叩く、削る、といった原始的な技法を使って作品と向き合っている。
この星の中に散りばめられている、遺跡や、様々な民族の営みの痕跡、
その集合体の様なエネルギーがこの場(インスタレーション)に存在すると感じている。
現在-過去-未来、この時空を超えた意思を放った光の矢は、こうして私の手の中で生まれる。
そして昔、鉱物として地中に潜っていたアルミニウムの記憶を、単なる無機質な工業製品である素材から、
森羅万象にただよう気配を取り戻すためのミッションを重ね、祈りを込めて一つ一つ制作している。
人の無意識の内奥には、過去幾世代にもわたって継承されてきた文化的遺伝子ともいいうる記憶や霊的な記憶等が存在していると信じている。
そういった記憶が何かにインスパイアされ空間全体に不思議な力がもたらされていることを私は信じている。

【Alterとは?】
年代、地域、民族によってアルターの意味もかなり異なるのだが私にとってアルターとはアニミズム的な森羅万象の神々とを結ぶ、自分本来の祈りの場である。
私達は地球という星の宇宙空間に存在し、また私達の身体も小さな宇宙そのものであるのだと思っている。
*Alter アルター(神に捧げる祭壇)


■ 地中の雲 コンセプトノート

そう、それは
地中の雲の流れに乗って
我らの記憶を掻き分けながら
飛んでゆく。
風音よどこまでも、
放て放て、闇と光。
暗雲よ、立ち込めるがいい
光の束を咥えた小鳥達が
天地を貫くまで

この地下空間に初めて入った時、
私は今までとは違う地中というものに意識が向かいました。
そこには大地の遥か遠い記憶の1日1日が刻み込まれていて
朝日が昇り、育ってゆく動植物達の生命の痕跡。
やがて夕日が沈み、暗闇を月光が静かに照らした世界の光と陰。
大地は揺れ動き黒い雨となり、海底に沈んだあの時の光景。

こんな事柄を妄想していると私達一人一人が持っている一瞬の意識でさえ地中には記憶されている様な気がします。
だから、私達人類も地球の細胞の1つであるのだと思えてならないのです。
古代文明や私達の遠い記憶にある民族的な意識のなかのアミニズム(自然崇拝)。
この星の生命の共通の無意識が地中には蓄積されていると私は感じているのです。
この地下の宇宙空間の中で皆様に形而上学的な何らかの起源を感じて頂ければ幸いです。


■ Prayer and altar コンセプトノート

アルミニュームという素材は私にとって光の源である。
光とは私たちに平等に降り注がれる命のようなものだ。

私はこの素材と偶然に自然な形で出会い、
流れのままに制作してきたのだ。

私はこの素材に自分自身の叩く削るといった痕跡や
不思議に沸き起こる文様をベースに仕事をしてきた。
その中には様々な旅先で出会った少数民族たちのアニミズム的な
祈りも込められていると思う。

さて祈りとは何だろう。
私は一人静かにいつも自分自身に祈っている。
時には感情との戦いのような時もある。
しかし人の内奥には神が宿っていると信じている。
実は、またそういった様々な神秘体験があった。
その体験が宗教的な悟りとは無縁であり、
ひと時の宇宙からの贈り物であると私には思える。

私は宇宙と一体となる装置を作りたいと予々思っていた。
そんな祈りを込めたアルターであり、インスタレーションである。
年代、地域、民族によってアルターの意味もかなり異なるのだが
私にとってアルターとは神聖な自分本来の祈りの場である。
私達は地球という星の小さな宇宙空間に存在し、また私達の
身体も宇宙そのものであるのだと思っている。
*アルター(神に捧げる祭壇)


■ 2room’s 2kwgallery コンセプトノート

image no batonというテーマでの昨年4月の前回の展示にひきつづき、
今回の2kw gallery での展示ではHIKARI WO TUNAGUと副題をつけて、
さらに大きなサイズで制作しました。
まずはじめにHIKARI WO TUNAGUへの参考として
‘image no baton’ の主要なコンセプトの一部をご紹介します。

無意識の共通部分であるイメージの核と成るものを
まるでDNAのように人類が実は持って生まれてくるのではないかと思うのです。
人は何らかのイメージを創ることで無意識の連鎖を繰り返し、
その核となるものを意識化することが出来るような気がしました。


2room’s - hikari wo tunagu

私は昔からアニミズム(自然崇拝)的なものに強く惹かれています。
アニミズム的な発想はこれからの世界にとても必要な感受性であると私には思えるのですが皆さま如何でしょうか?
私には、このアニミズムの人間の本質的な意識はとても重要なことだと思えるのです。

私達の太古の記憶なのか?このアルミニュームに生み出す文様に
鑑賞者の皆さまが縄文やインカやマヤ、ケルト、エジプトといった様々な文明を
口々に伝えてくださる少し不思議な現象が起こっているのです。
私には、色んな民族を追っかけて様々な国を
旅してきた中でひとつ強く思うことがあります。
それはそれぞれの文明や民族は海を越え、山を越え、
全てが繫がりあっているかもしれないと云うことです。

私達の身体には人類の歴史という壮大な時間軸が組み込まれ、
命を繋いできたのだと感じます。
またその記憶が我々人類の無意識の痕跡となり私の作品から
インスパイアされて我々の記憶が蘇ると感じています。
それは私の作品を通して行われるとても神秘的な閃きであり、
このhikari wo tunaguの光は、私達の DNAが持つ壮大な時間軸を
繋いでいるものであればとても嬉しいです。

2016 11.6 小野サボコ


■ HIKARI NI SUMU コンセプトノート

2007年より様々な手法を用いてアルミで作品を制作を展開している。
アルミ板やアルミテープにニードルで線を描いたり、
金槌で叩いたりを根気よく続け凹凸をつけていく。

この空洞のある家は2009年から作り始めヒカルハウスと呼んでいる。
ヒカルハウスは表裏共にぎっしりとニードルで描いたり型押ししたり、
金槌で叩いた模様が刻まれている。

空間はミクロコスモス(小宇宙)とマクロコスモス(大宇宙)からなり
人の身体はよく小宇宙に例えられる。

ヒカルハウスの内空間と外空間はそのまま繋がっており、
小宇宙と大宇宙が表裏一体の構造になっていると言える。

また我々の住居には窓があり扉があり換気口があり穴だらけである。
これもある意味、大宇宙と繋がっていると言える。

さらにわたしたちの身体自身も耳鼻、皮膚にいたるまで穴だらけで
人の身体も言うなれば大宇宙と繋がっていると考えると面白い。

ヒカルハウスひとつひとつは、それらの最少ユニットの象徴として在る。
ヒカルハウスの無数の凹凸はあらゆるものと共鳴し合い、反射して輝きを放つ。

時として、大宇宙と小宇宙がともに内包し合い一体となる感覚を持つときがある。
人間の身体もヒカルハウスと同じようにあらゆるものと共鳴し発光する家なのではないだろうか?

吊られたヒカルハウスは人が存在するその気配だけで個々の回転軸を持って揺れて回り
とても魅力的な輝きと動きを見せてくれる。

それは独自の時間軸を持ちながら浮遊し、あたかも生命を
宿しているかのように感じる。

この作品は鑑賞者もそのヒカルハウスの宇宙の中に入って頂き、
作品に触れたり眺めたりして楽しめる体験型のインスタレーションである。


■ image no baton コンセプト ノート

2007年から、様々な形でアルミと向き合い制作をしています。
いろんな作品を摸索しつつ、制作する合間になのですが
業務用のアルミテープで缶バッチを作り
かれこれ350個ぐらい制作しました。
直径5cm程の小さな丸いアルミのシートに抽象的で未だ説明しえない
イメージ達が産まれては様々な人々の所に旅立っていきました。

無数のイメージはまるでわたしの細胞の一部かのように何年経っても
彷徨いながら消えることなく存在しました。
そしてその無数のイメージ達の中からいくつかのパターンを持ち始め、
時には変化しながら蘇り、またそこから新たなイメージとして
産まれ変わるものも出来てきました。

今回の展示は、そのイメージがどこから来ているのか
追求したい一心で少し大きめのサイズで作品を連作しました。
その作業は昔、描いていたイメージとの再会であったり
どこからか湧いてくるイメージの源に近づく第一歩でした。

実はこの無数のイメージが産まれるきっかけとなったものは、
大好きな雅美族や海洋民族のバジャウやミナンカバウ族を
探して旅をしていた頃の自分が原点なのです。
そして今回の制作を通じて、それらの少数民族とサボ族(笑)
が根底で繋がっている、リンクしているのではないかと気付き
深い感動を覚えました。

このようには人間は無意識で繋がり合っているものの、
それぞれの部族がイメージを伝え育ててまたそのイメージを持ち
永い時間軸の中でゆっくりと変化させてきたのではないかと思うのです。

そしてまた、無意識の共通部分であるイメージの核と成るものを
まるでDNAのように人類が実人間は持って生まれてくるのではないかと
思うのです。人は何らかのイメージを創ることで無意識の連鎖を
繰り返しよりその核となるものを意識化することが出来るような
気がしました。

それはまるで、感覚のなかで迷い彷徨っている子供をみつける
ような作業であると言えます。
イメージを無意識のなかで浮かび上がらせ、新たな自分との
出会いを起せるどこか神秘的な作業であるとわたしは思います。

この作品展を通してアルミの持つ白い光の束に刻まれた
イメージのバトンをサボ族のわたしや人類のもつ無意識と
共に感じて頂ければ幸いです。